被災地への支援活動のページ
2011年3月19日のブログより
行ってきましたので共有の為に更新します。
画像は被災者の心情を考えると本来はモザイクをかけるべきだし、
不特定多数にオープンに見せるのは問題があるようなので、
日記は友人限定としました。
画像のコピーペースト厳禁となります、よろしくです。
但し、被災者の心情を考慮し、コピペ厳禁の事、周知お願いします。
旭災害ボランティアセンター
http://www5.plala.or.jp/asahishi-syakyo/saigaiborannvorasen.html
0900に現着し、すでに1000人前後並んでいました。
ちなみに僕が行列に並ぶ事は、通常はありえないんですね、
生理的に行列に並ぶと言う行為が無理なんです。
普通なら30分とかが限界なんです。
でもね、そんな事言っている場合じゃないし、
今回は「目的」が違うから、全然イライラしなかったです。
結果的に受付が修了するまでに3時間強掛かりました
受け付け終わったから持参したおにぎり食べますか、みたいな。
迷彩ズボンと長靴履いて、ヘルメット被ってスコップ持って
やる気十分だったのですが、僕の前後100人位はチラシ撒きを
頼まれました。
ええ〜〜っ?
チラシチームっすか。。。
チラシの内容は、
「ボランティアの依頼は、して欲しい作業内容を、こちらに電話してください」
という趣旨のモノ、、、
別に良いんです、それも大事な仕事だし。
5人一組になり、僕のグループは一番港寄り(左)から開始しました。
サーファーに通じるように言うと、通称「ルビー」から「信号下」の
海岸線のあたりでチラっシんぐしました。
あえて、「作業とは書けない・・・」
いつも遊んでいる場所だから土地勘はばっちり。
海岸沿いと、その裏2件程度がまともに津波を食らったようです。
現状見たい?
作業しているボランティア先発隊?らしき人間も大勢いました。
でも現実はさ、そう単純じゃない訳ですよ。
現地に行って分かった事。
旭に限って言えば、
マンパワーを必要とするボランティアの出番は、
連休中にはほぼ完了します。
この現状見て何言ってんの?
って思うでしょ?
これね、建築関係ド素人ではない立場で言うと、
素人が触ってどうにかなるレベルじゃないんです。
もうね、すでにプロの解体業者が無数に入っていました。
プロの仕事が求められているんです。
ガテン系ボランティアの需要はあと2日もあれば完了です。
プロの解体業者が入っている現場にボランティアが混在しているんです。
解体業者は生業としてやっています。
そこへボランティアが無数に来ます。
素人が触れるレベルではありません。
零細の解体業者のオヤジはどう思うでしょうか?
チラシ渡します、「もう貰ったよ」と言われます。
人が良い土地柄ですから何度同じチラシを受け取っても
「ありがとうねぇごくろうさん」と言ってくれる事も多いです。
チラシチームはチラっシんぐのみに専念しなければなりません。
その場で作業を受けては駄目なんです。
残念ながら、一部のボランティアは「やってあげているんだ」
という態度の人間もいました。。。
そんな中で一番嬉しかった事は、ルビー前の、
居酒屋のおばちゃんに遭えた事でした。
おばちゃんも息子夫婦も元気でした。
「店は解体してるよー」と言われて指差された方向を見ましたが、
どの辺なんだったか解らないくらい何もない、瓦礫しかない状態でした。
あまり話すと辛くなるので、挨拶してまた遊びに来るねーだけ言って
立ち去りましたが、よく考えたら、はたして店は建て直すんだろうか?
今回の震災では、千葉で一番死者行方不明者の出た土地です。
千葉でこの状況ですから、福島、宮城、岩手の被災者を取り巻く状況。
さらにボランティアを取り巻く状況って相当複雑ですよ、思った以上に。。。
僕が現地に行って一番感じたのは、プロジェクトマネジメント等の
実務経験者による知的ボランティアの必要性でした。
要は、仕切る人の必要性だね。
チームビルディング経験者尚可って感じ。
皆さ、災害ボランティアって言うと、僕みたいに作業ズボン履いて
体張りたくて来る人が多い訳じゃん?
一定以上の人間が集まってある程度の団体行動をしてもらうためには、
比率的に何割かは、事務屋さん総務屋さんがどうしても必要なんです。
しかも、ほぼ、誰しも初めての経験ですから、段取りの悪さったらありゃしない。
一番の問題は、実際に仕切っている人たちが、
その必要性に気がついていないと言う所にあります。
ああ、勘違いしないでくださいね、
愚痴とか文句とかじゃなくて、
建設的な意見というか教訓として受け取ってもらえたら嬉しいです。
他にできる事。
僕たちの遊び場である砂浜は、まだほとんど手付かずでした。
そりゃそうだ、家が壊れているのに海岸綺麗にする余裕なんか無いわな。。。
なので、サーファーは、いつものビーチクリーンをした方が旭の為になります。
そして、その土地で開いているお店でいつもの様にご飯を食べ、お金を落として帰ってくる。
これの方が喜ばれると思いましたw
こういう事書くと賛否あるのは分かります。
あくまでも、僕個人の感じたことですので、
その辺を汲んでいただければ嬉しいです。
2011年3月24日のブログより
福島県いわき市まで、支援物資を持って行ってきます。
先々日のこと、いわき市の市長がテレビでインタビューを
受けていて、放射性物質が怖くて運送業者も現地入りを
断るケースも多々あるのだとか。
まだ、現地から離れられない人も多い中、その場に留まって
献身的に動いているNPOと連絡が取れ、物資を受け入れてくれる
との話しで、行く事にしました。
義捐金は、色んな所でやっているのでそちらに任せるとして、
僕は現地入りできるくらい近くなので行ってきます。
ジョイフル本田という富里のホームセンターで、
現地のNPOの方に聞いた欲しいものを調達しました。
困ったのは、ルート上だと燃料補給が厳しいらしいとの情報により、
ガソリン携行缶の必要性を感じて買いに行ったところ、
どこにも売っていなかったんです。。。
しかも、
持っていったお金で、僕の車くらいは満載になるかと思いきや、
現実は、こんな感じ。。
満載するとウン十万だわ、、、
こりゃいかん、皆に協力要請しよう、と思い立ち、
今日の昼過ぎくらいに突然、応援要請したにもかかわらず、
会員さん関係なので名前など出せませんが、
何人もの方が、応援要請に応えてくれました。
市川に住んでいる仕事の先輩が世田谷で仕事が終ってから、
八街の事務所まで物資を届けてくれました。
使う道路の情報を提供してくれた友、ガソリン携行缶(中身入り)を
貸してくれる友。
資金で応援してくれた友。
物資をかき集めてくれる友のおかげで、どうにか明日、行けることになりました。
一人で何でも出来ると思ってたけど、実際やってみると
自分ひとりじゃ微々たるものだね。。。
必要と教えてもらったものは、缶づめ、水、味噌、醤油、塩、砂糖などの調味料、
紙コップ、紙皿、カップラーメン、インスタントラーメン等でした。
必要とされるもので、現地のライフラインの様子や状況がある程度わかりますね。
ただ、これは、受け入れ先(同じ市町村でも物資を下ろす場所)
ごとに必要なモノは変わってきますので、
どこでもこれらが必要とされているとは限りませんから、
その都度、
現地自治体のホームページから受け入れ先を探し出し、
実際に現地の方と電話でやり取りした方が良いです。
じゃないと、足りているモノを持って行ってしまう
ことになりますからご注意下さい。
仕事は通常どおり営業していますからね、休業中では
ありませんので、僕の事忘れないでね。。。
震災が無ければ海へ入って波乗りしていたであろう時間を
使っているだけなので、時間的なやりくりは何とでもなります。
日帰り余裕だしね。。。
別に公表しなくても良いかな、とも思ったんですが、
少しでも現地に行く輸送業者が増えたら良いなと思い、
upする事にしました。
交通規制等のの不明な点もありますが、現地では物資を
待っていてくれるので、かいくぐって行って来ます。
今回ご協力頂いた方々へは、心より感謝しております。
僕の思い付きと自己満足にお付き合い
いただいて、ホントにありがとうございます。
頂いた物資や気持ちを間違い無く届けさせていただきます。
2011年3月26日のブログより
24日の夜に出て下道で行こうと思っていたのですが、
仲間の情報によると、予備燃料を持っていった方が良い、
という事だったので、まずはガソリン携行缶を買わなくては、
と思い、カーショップやホームセンターを探しましたが、
どこも品切れ。
仲間に連絡したら、20Lの携行缶にガソリン入れて渡してくれました。
その関係で、出発は25日の朝になりました。
軽のパンでも半分も積むと、かなりの金額だったので、
救援物資をお願いできる方は、夜何時までに
持ってきてください、みたいな感じで知り合いに
一斉メールで応援要請しました。
突然にもかかわらず、
何人もの方が、協力してくれました。
みんなの協力のおかげで、物資が結構集まりました。
ちゃんと積んで行くよ、の画像です。
資金提供してくれた友や、、物資提供してくれた友、
道路情報を提供してくれた友、放射性物質の実際の
状況を提供してくれた友のおかげで無事に行けました。
みんな、ありがとうね!!!
いわきの市役所に問い合わせたら、
受け入れ先のNPOを教えてくれたので、
何が必要なのかを教えてもらい、
そのリストにある物を届けました。
途中の水戸辺りから高速に乗っちゃったので、
意外にも普通に行って帰ってこられました。
常磐道は、昨日の時点では、いわき中央ICまでは
通る事が出来、その先が通行止めでした。
道路の凸凹こそあるものの、通れてよかったです。
物資の下ろし先は、いわき中央ICを下りた近くの
工業団地の中、下記の倉庫でした。
下の画像は、ちゃんと行ってきたよ、の証拠画像として撮りました。
分かりやすいでしょ?
津波の届いていない町中は、電気が消え、窓を閉め切っている様子。
みた感じで、ですが、10件に1件くらいやってるガソリンスタンドは、
千葉辺りの震災から2〜3日目、以上に大渋滞でした。
開いていないお店も多く、歩行者もほとんどいません。
帰りは下道で、、、
と思ったら、渋滞に嵌りそうだったので、迂回して、
高速で桜土浦経由で帰ってきました。
だいだい千葉から片道230キロ、時間にして3時間とかそのくらいでした。
迂回路では、少しだけ津波の被害があった場所を通りました。
火力発電所がある辺りです。
比較的、軽めの所しか撮れず、本当にヤバイ場所は、
プロパンガスのボンベとか、ゴロゴロ転がっているような状況です。
さすがに、その場で写真撮影する余裕は無かったです。。。
やっぱり、現地を自分の目で観てきて正解でした。
なんだろう、受け取り側の解釈を限定させるような報道のあり方?
みたいなものは凄く感じましたね。
詳しくは書けませんが、自分の中での震災に対する、
緊急課題みたいな焦りとか、不安とかは無くなりましたね。
あとは、長期的に関わっていくしかないんです。
腰を据えて、じっくりとね。
慈善団体がどんな訳で、義捐金、義捐金、ぎえんきん!!!
、と言うのか良く解りました。
自分で完結させてみると解りますが、
やってあげたい事をするためには、
お金は湯水のようにかかります。。。
ただ、現金が入ってくると、自分のものだと勘違いしてしまう
人や団体も、中にはあるそうですので、なるべく義捐金を
託す相手を良く調べたほうが良いですね。
被災者に対する支援も、ソフトからハードまで全て求められます。
そのニーズも徐々にボランティアから、プロの仕事へとシフトしていきます。
例えば、瓦礫を撤去しても産廃業者でもなければ、
捨て場が確保できません。
ガス屋じゃなければプロパンボンベの取り扱いなんて解らないですよね。
話を聞いてあげる事がものすごく大切です。
それは思いやりのある方なら出来ますが、心の苦しさは見えませんので、
心療内科や精神科医の診察が必要な方もいらっしゃるでしょう。
ちょっと話がそれますが、約9年前、父が交通事故で、
ある日突然、帰らぬ人となりました。
ある日突然ですから、残された人は、心の整理に何年も掛かります。
当時は母や兄に代わって、
僕が父のやっていた鉄工所事業の残務整理を全て引き受けました。
かなり先になる予定ですが、もし、父に会う機会があったら、
「俺って頑張っただろ?」と、父に胸を張って言えます。
比較するものではありませんが、津波で安否がわからず、
行方不明のままの親族がいる方の気持ちは、どれほどなものか、
と思います。
想像を絶する精神的苦痛なはずなんです。
身内がそんな中でも、被災地の病院に留まって看護市として
人のために、自分の出来る事をしている方。
また、同じように行方がわからない母がいるにもかかわらず、
同じ避難所のお年寄りを、振る舞いによって元気にしている
高校生もいますよね。
彼らは今まさに、一生ものの心の財産を築いているんだよね。
そんな中で、後は僕に何が出来るのだろうと考えました。
考えて出来る事はやりました。
その上で、後は長期的な視点でやっていく事に決めました。
今日からは、完全に日常業務モードに切り替えます。
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